こどもが宝となるために

 来春、こども家庭庁が創設されます。その是非や効果は別として、背景には少子高齢化する社会を国としてどうにかしなければならないという意識の表れでしょう。少子化の指標には合計特殊出生率など難しい用語も多いのですが、わかりやす Continue Reading →

ハロウィンとお盆と死生観

 ハロウィンのお祭りが近年と言ってもここ10年位でしょうか、あちこちで仮装のお祭りとして見聞きするようになりました。今年はとりわけ韓国のソウルで150人を超える人たちが圧死するという痛ましい事故が起こりました。お祭りとい Continue Reading →

きよく汚れのない宗教

 安部元首相の銃撃事件後から旧統一教会問題がメディアを賑わしています。長らく触れてこなかった問題が急浮上したのは、政治との結びつきです。票田としての宗教団体、その団体が何やら怪しい。関係はどうだというところから始まって今 Continue Reading →

乗り物と自由のはなし

 遡ること30数年前、神学生だった私に奉仕先のリーズナー宣教師が私に聞きました。「松村さん、クルマは好きですか?」 好きとか嫌いとか、そんなものは超えて、すべて献げたつもりであった私は苦し紛れに「きらいではありません」と Continue Reading →

文化大命令と私

 二つの台風とともにようやく秋らしい季節になってきました。今年は6月に異常な暑さがやってきて、4ヶ月近く、「夏」の暑さ厳しい日が続きました。わが家の庭では、例年8月にミョウガが採れるのですが、今年は一か月ほど遅く、今が旬 Continue Reading →

老いと死は自分で選べない

 私家族が両親と暮らすようになってちょうど3年が経とうとしています。母に認知症の様々な症状や行動が現れて、二人で暮らすのはもう限界だと感じるようになって呼んだのです。馴染みのある土地や家を離れることは認知症にはあまりよく Continue Reading →