「交わりと喜び」使徒28:11-16、ローマ16:1-16
パウロ一行はいよいよローマに着きます。ローマの最初のキリスト者はペンテコステの日、エルサレムに居合わせた「滞在中のローマ人」から始まったのでしょう。彼らがローマに帰り教会ができます。ユダヤ人退去命令(18章)のゆえにコ Continue Reading →
パウロ一行はいよいよローマに着きます。ローマの最初のキリスト者はペンテコステの日、エルサレムに居合わせた「滞在中のローマ人」から始まったのでしょう。彼らがローマに帰り教会ができます。ユダヤ人退去命令(18章)のゆえにコ Continue Reading →
マルタ島に漂着したパウロら276人。島の人たちは親切にもてなしてくれました。そこでパウロはまむしにとりつかれます。人々は口々に「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と Continue Reading →
パウロのローマへの護送。その途上の難船した船の中、そこには船長や航海士、水夫、それに同船した百人隊長と兵士、そして囚人たち。みな呉越同舟です。ところが戦うべくもなく、「助かる最後の望みも絶たれようとしていた」という状況 Continue Reading →
パウロはローマへ護送されることになりました。他の囚人たちと共に百人隊長ユリアスに率いられての船旅ですが、途上、嵐に遭います。太陽も星も見えない日が幾日も続く暴風の中、座礁を避けるために積荷から船具からみな投げ捨て、なす Continue Reading →
「わかっちゃいるけどやめられない」というスーダラ節が一世を風靡した時代がありました。歌った植木等さんが歌にためらいを覚えて住職だった父親に相談すると「親鸞の教えに通じるものだ。素晴らしいから歌いなさい」と言われたそうで Continue Reading →
「もし○○であったなら、そのとき私はカルバリの愛を全く知らない。」エミー・カーマイケルの詞です。彼女は心が騒ぎ、眠れぬ夜、自分の心に問いかけ、ことばに表しました。彼女はそのすべての根っこは愛の不在だと気づきました。 Continue Reading →
東京裁判。敗戦後、戦犯を問うた裁判です。戦勝国が一方的に裁く裁判でした。今後の日本のあり様に関わるため、天皇の戦争責任も、原爆のことも問いません。公正ではなく、先入観と偏見、意図をもってなされたことでした。BC級の戦犯 Continue Reading →
パウロの裁判は衆人注視されることとなりました。「フェスト閣下、着任早々にパウロ裁判!解決に意欲!」とか、「アグリッパ王が臨席、その結果は明日の昼過ぎ!」とでも全国紙に載るような事件です。いったいパウロは何を信じているの Continue Reading →
「目を上げて畑を見なさい」は有名な聖句です。それは「色づいた畑」を意味しているのではありません。この言葉はサマリヤの女の話に引き続いて弟子たちに語られました。ユダヤの人たちにとってみれば、見向きもしないサマリヤ人たちに Continue Reading →
ピラト、ペリクスという総督に共通する「お役人」気質について考えました。続く「お役人」がフェストです。彼にとっては前任者がやっかいな囚人を残し、しかも、彼のなすパウロの処遇はユダヤ人らの一大関心時であり、その如何によって Continue Reading →