「誰もが神のこども」ガラテヤ3:23-29
この箇所の中心は私たちが信仰によって神の子どもとされることです。しかし、それまでは律法の下に監視され、厳しい養育係のもとに閉じ込められていました。それはさながら巨人の星の星飛雄馬。厳しい父の果たせぬ夢を託されて野球に打 Continue Reading →
この箇所の中心は私たちが信仰によって神の子どもとされることです。しかし、それまでは律法の下に監視され、厳しい養育係のもとに閉じ込められていました。それはさながら巨人の星の星飛雄馬。厳しい父の果たせぬ夢を託されて野球に打 Continue Reading →
この箇所のテーマは約束と律法です。十字架に贖いによる恵みの約束を信仰によっていただいた。ならば、御霊に導かれて喜んでそれにふさわしく生きようと願う。そこには愛と思いやりがあります。一方、律法を守ることは肉による努力の世 Continue Reading →
「律法の書に書いてあるすべてのことを守り行わない者はみな、のろわれる」(10)というのは申命記27:26のことばです。一方それは、みおしえを守るなら祝福されると続きます。イスラエルの民がいよいよ約束の地カナンに入ろうとい Continue Reading →
あぁ、愚かなガラテヤ人ということばから始まって、パウロは律法主義、行い主義、「してはならない、しなければならない」ではなく、ただ十字架のイエス様を見上げる信仰について教えてきました。それを彼らの父祖アブラハムを例に語り Continue Reading →
パウロはここに、厳しいことばで問いかけをします。「あぁ、愚かなガラテヤ人」、英語では一様にfoolishと訳され、砕けて言うなら、「バカな、わからずや」です。『バカの壁』という本がベストセラーになりました。人は見たいも Continue Reading →
新しい年、いまだコロナが収まらずに迎えました。コロナはかたちは違いますが、バビロン捕囚によって散らされた民の姿は私たちと重なります。エルサレム陥落と神殿の破壊、捕囚と帰還の出来事は旧約聖書の中でも大きなボリュームを占め Continue Reading →
クリスマスは私たちの世界に神が『突入』された時です。マリヤもヨセフも、羊飼いも東方の博士も、すべてのことがかつて聞いたこともない初めてのこと。それを信仰をもって迎えました。今、あなたのところにイエス様が来られたら、お迎 Continue Reading →
ザアカイ、彼は取税人のかしらで金持ちでした。それは時代劇の悪代官と結託した商人たちの「そちも悪よなぁ」というセリフと重なります。取税人は『罪人』と同義語でした。ローマの後ろ盾のもとに、不正な税の取り立てをして私腹を肥や Continue Reading →
私たち人は、「ありがとう、ごめんなさい、赦します」という3つのことばがあったら、共に生きていくことができます。しかし心は「あたりまえ、そっちが悪い、赦せない」と正反対のことを思います。主の祈りの「私たちの負い目をお赦し Continue Reading →