いのちをかけるほどに
後藤健二さんがイスラム国に殺害されました。世界で最も危険なところ。すでに何人もが人質となって殺害されている。どうして彼はそこへ行かなければならなかったのか。国はたとえ一人のいのちであっても最大限の努力をして国民のいのち Continue Reading →
後藤健二さんがイスラム国に殺害されました。世界で最も危険なところ。すでに何人もが人質となって殺害されている。どうして彼はそこへ行かなければならなかったのか。国はたとえ一人のいのちであっても最大限の努力をして国民のいのち Continue Reading →
イエスの受洗で「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と天から伝えられて、イエスの神の子の立場と救い主としての使命が確認された。それを知っていた悪魔は3、6節の「あなたは神の子ですから」という意味合いを持つ「あ Continue Reading →
「生半可な信仰ではやっていけません」とおっしゃるのはK福音教会のK姉。先週、問安した教会の一つです。東広島市黒瀬町。広島市中心から車で約50分の田舎町。JECAに最近加盟したものの、飛び地のように離れた場所にあるゆえ、 Continue Reading →
姦淫ということば、日常で耳にすることはありません。淫行、セクハラ、ストーカー、それは毎日どこかで耳にします。汚いものにでも触れたような嫌悪感を覚えることもありましょう。従軍慰安婦、それはまた国の責任はどうかと問いかける Continue Reading →
毎年、成人の日に結婚家庭セミナーをしています。成人したら、一度は出て、聞いて置いてほしい話という趣旨です。私は奉仕の担当もあり、10年ほど毎年出ています。毎年講師は違っていて、そのカラーに違いは出るのですが、話の本筋は Continue Reading →
「殺してはならない」、その神の戒めは行いだけではなく、心の中の思いをも問うものでした。人の目には見えなくても、神は裁かれる。一方で十字架の血潮で赦しをいただいている者ならば、目に見える隣人との間に平和をつくること。それ Continue Reading →
今週の17日(土)、阪神淡路大震災から丸20年を迎えます。あの朝、一番に飛び込んでいたのは神戸の街が燃える様子。倒壊する家屋、傾いたビルや高速道路の高架橋。私にとってはちょうどその2年前、新婚旅行で訪れた思い出の地、大 Continue Reading →
「『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。」律法学者やパリサイ人、彼らはこの教えを表向きの型、あるいは行いの問題だけとして教えていました。人々もまたそ Continue Reading →
新しい年を迎えました。思い新しくしても毎年同じところを回っているようにも思える私たちの歩み。しかし、それは天の都を目指すバニヤンの天路歴程のよう。螺旋階段のように回っているだけはなく、天に向かって前進しているのです。 Continue Reading →
一年間、ともにこのみことばを掲げて歩みをしてきました。喜びとはギリシャ語のカイロー、挨拶、Greetingとも訳される言葉でした。心から喜んで、どんな人にも、どんなときにも挨拶を交わしてきたでしょうか。喜びとは独り占め Continue Reading →