「恐れはもういらない」創世記50章
ヤコブの死と葬り、それは国葬級の葬儀でした。ヨセフがこのエジプトでトップに立っていたとはいえ、彼がどれほどの敬意を受けていたのかを表すものでした。カナンへの埋葬はヤコブの遺言でしたが、それは、神の約束の民がエジプトへ埋 Continue Reading →
ヤコブの死と葬り、それは国葬級の葬儀でした。ヨセフがこのエジプトでトップに立っていたとはいえ、彼がどれほどの敬意を受けていたのかを表すものでした。カナンへの埋葬はヤコブの遺言でしたが、それは、神の約束の民がエジプトへ埋 Continue Reading →
ペンテコステは、目に見えない聖霊なる神が見える形で働かれた「しるし」です。その聖霊は何を導き、どのようにして救いを導かれるでしょうか。 「罪を罪と感じ得ないことが、最大の罪なのだと知った。」とは、三浦綾子さんの言葉で Continue Reading →
ヤコブの最期です。すでにヨセフの二人の息子マナセとエフライムを祝福したヤコブは12人の息子たちを呼び寄せて、一人一人にある者には祝福を、ある者には叱責をあるいは戒めを語ります。それは彼らのこれまで、それを踏まえてこれか Continue Reading →
母の日のエピソードを読むと、共通するのは、母への「甘え」です。母という存在はどこかで甘えを許してくれる。それは、どんなことがあったとしても受け入れてくれる唯一の存在だからなのでしょう。子どもは作るものでもできるものでも Continue Reading →
ヤコブに最期の時が近づいていました。ヨセフは二人の息子たちを連れていきます。ヤコブは「力を振り絞って床の上に座」(2)りました。そして、最愛の息子であるヨセフに特別の祝福、遺言を残そうとするのです。そこで注目するべきこ Continue Reading →
エジプトでファラオの前に立つヤコブはファラオを祝福しました。飢饉による疎開です。世話にならざるを得ないみじめなことですが、ヤコブがファラオを祝福したのです。どういうことでしょうか。 ヤコブにとって祝福、幸せというもの Continue Reading →
ヤコブはエジプトへ彼に属するものすべてと一緒に旅立ち、ベエル・シェバでいけにえをささげます。いけにえ、それはささげ物、祭壇と呼ばれても出てきますが、その最初はノアが箱船から出てきたときです。そして、アブラハムがカナンで Continue Reading →
世界がどう動こうとも、私たちが心揺さぶられるのは「私ゴト」です。誰もあえて試みを通ろうとは思っていません。面白しろおかしくなくたっていい、すべてがスラスラと進まなくたっていい。穏やかな日々を過ごしたいと願うのがせめての Continue Reading →
復活の朝は墓に向かう女たちから始まります。空の墓と主の使いのお告げに驚きます。続いてそれを聞いて墓に走ったペテロともう一人の弟子。彼らも同様です。そしてエマオに向かう二人の弟子たちも戸惑っていました。誰一人として復活な Continue Reading →
受難週を迎えました。イエス様のエルサレム入城、人々は「ホサナ、ホサナ」と喜び迎えました。それは、イスラエルをローマの圧政から救う期待でした。一方、イエスの与える救いは罪からの贖いです。 私たちは自分でもわからぬほどに Continue Reading →