「神の国に入るには」マルコ10:17-27
私たちは、過去と未来という時間の流れの中で今を生きています。残念なことに過去を覚えては後悔し、未来に希望を見いだせずに今に意味を見いだせない。そんなことが少なくありません。「永遠のいのち」とは、やがて来るものではなく今 Continue Reading →
私たちは、過去と未来という時間の流れの中で今を生きています。残念なことに過去を覚えては後悔し、未来に希望を見いだせずに今に意味を見いだせない。そんなことが少なくありません。「永遠のいのち」とは、やがて来るものではなく今 Continue Reading →
三浦綾子さんが『道ありき』の中で「本当に人を愛するとは、その人が一人でいても生きていけるようにしてあげることだ。」と書いておられます。イエス様はここで一人の人を自立に導かれました。 彼は、「38年も病気にかかっている Continue Reading →
自分にすがりつくルツに向かって、ナオミは「モアブとその神々の帰りなさい」と命じます。この命令は、ルツがまことの神と神を信じる共同体に生きていくことを問うものでした。ナオミを通して、神がルツの信仰を確認しているとも言えま Continue Reading →
マルコ10章、そこには3つの話が連続して書かれています。福音書の記者はイエスのなさったみわざ、教えられた教えの中から取捨選択して記録しました。込められた文脈の意図があります。離縁の話、この子どもたちの話、続く金持ちの青 Continue Reading →
パリサイ人たちがイエスを試みて、夫が妻を離縁することは律法にかなっているかどうかと尋ねます。イエスは、人の心の頑なさのゆえにやむを得ず離婚状を書いて離婚することを許したのであって、本来そうではないとお教えになりました。 Continue Reading →
イエスが、弟子たちを最後まで愛されました。その愛を示すため、イエスは、弟子たちの足を洗われました。 4節の「上着を脱」ぐという言葉は、ギリシャ語「ティセーミ」です。ヨハネの福音書10章に、「わたしは良い牧者です。良い Continue Reading →
「お役に立ちたい」と願いつつ、何もできない事が多々あります。試練にお襲われれば、「私なんか、神さまや他者に対しても何もできない」とガッカリしてしまうことがあります。しかし、そんな私たちをも神が用いてくださいます。 Continue Reading →
私たちは裸で生まれ、裸で死んで行きます。どの時代に、どこに、どの親から生まれるか選ぶこともできません。そして、「私たちの齢は七十年。 健やかであっても八十年。しかも、そのほとんどは 労苦とわざわいです。」と詩篇は語りま Continue Reading →
今日の箇所も、「誰が一番偉いのか」から始まる、私たちが人との交わりの中にどう生きるのかを教えるところです。その原理は、「だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい。」そのように徹底して仕え Continue Reading →
弟子たちの「誰が一番偉いのか」から始まるイエスの教え、それは人と人との交わり、イエスの弟子として生きる原則です。この箇所では、私たちの仲間でない者がいやしをしている。それに関わることが中心です。いったいイエスは何を問うて Continue Reading →