「王の誕生」マタイ2:1-23

 私たちは自分の人生の王様、別の言い方をすれば自由に喜びもって生きたいと願っています。しかし、それが許されない世界が私たちの世界。誰かが自分の人生に君臨して虐げられたり、痛めつけられたり、またその逆であったり。修復しよう Continue Reading →

クリスマス考

 キリスト誕生の正確な日は誰にもわかりませんが、クリスマスの祝いは四世紀半ばからローマで12月25日に祝われるようになりました。ローマ人たちはこの日を「太陽の誕生日」として祝っていたことに関係しているという説が有力です。 Continue Reading →

世の光、主イエスの到来

 いったい自分はどこにいるのか、いつになったら出口が見えるのか、進んでいるのか戻っているのか、何が向こうにあるか、一歩先がどうなっているのかもわからない。暗やみでは何もわかりません。私たちにはどうしても光が必要です。   Continue Reading →

教会の今昔、そして今

 キリストの教会、それはいつも「信じた者の群れ」(使徒4:32)です。そして、それは絶えず人の出入りがあります。新しく生まれた者、天に送る者、加わる者、送りだす者、一時を共にする者、長く交わりをつくる者、しばらく離れる者 Continue Reading →

「見分ける力」マタイ7:6

 「○○力」という言葉がよく使われるようになりました。それは生き方を示すことばですが、私たちクリスチャンにとって、それは「見分ける力」です。「聖なるものを犬に…豚に真珠」、そんな生き方になってはいないか、神に喜ばれるみこ Continue Reading →

子どもが分かるためには

 教会学校の子どもたち、毎週、主のいのりを祈るのですが、その意味がいまいちよくわからないまま、習慣のように唱えている。もう一度、子どもたちが分かることばで主の祈りを教えようということになり、私が3回にわたって、お話するこ Continue Reading →