思いに任せないことこそ感謝の源
今年のクリスマスは、その前から、熱を出し、体調がいまいちスッキリしないまま迎えました。人によって受け止め方は違うと思うのですが、私の場合、根を詰めてことをして思わぬケガをしたり、熱を出したりすることがままあります。子ど Continue Reading →
今年のクリスマスは、その前から、熱を出し、体調がいまいちスッキリしないまま迎えました。人によって受け止め方は違うと思うのですが、私の場合、根を詰めてことをして思わぬケガをしたり、熱を出したりすることがままあります。子ど Continue Reading →
私たちは自分の人生の王様、別の言い方をすれば自由に喜びもって生きたいと願っています。しかし、それが許されない世界が私たちの世界。誰かが自分の人生に君臨して虐げられたり、痛めつけられたり、またその逆であったり。修復しよう Continue Reading →
キリスト誕生の正確な日は誰にもわかりませんが、クリスマスの祝いは四世紀半ばからローマで12月25日に祝われるようになりました。ローマ人たちはこの日を「太陽の誕生日」として祝っていたことに関係しているという説が有力です。 Continue Reading →
暗やみで人は道を失います。目の前を一生懸命に照らしては行くべき道、帰るべき道を探しますが見つかりません。「私たちは光を待ち望んだが、見よ、やみ…」そして、手探りでどうにかしようとうめきます。最も必要なことは、動かぬ確か Continue Reading →
いったい自分はどこにいるのか、いつになったら出口が見えるのか、進んでいるのか戻っているのか、何が向こうにあるか、一歩先がどうなっているのかもわからない。暗やみでは何もわかりません。私たちにはどうしても光が必要です。 Continue Reading →
どうにもならない時、私たちはなりふり構わず求め、捜し、叩きます。このことばは、そのようなときに私たちの願いが叶うとか、あるいは心くじけないことだとか、道が開けていくものだとか、キリスト者でなくても使われることのあること Continue Reading →
先週、60周年の記念会をしました。様々な奉仕をしてくださった兄姉、ともに参加した兄姉、お疲れ様でした。心から一人一人に感謝を申し上げます。 スライドショーをして振り返ると、とてもすべてを網羅することはできません。あの時 Continue Reading →
キリストの教会、それはいつも「信じた者の群れ」(使徒4:32)です。そして、それは絶えず人の出入りがあります。新しく生まれた者、天に送る者、加わる者、送りだす者、一時を共にする者、長く交わりをつくる者、しばらく離れる者 Continue Reading →
「○○力」という言葉がよく使われるようになりました。それは生き方を示すことばですが、私たちクリスチャンにとって、それは「見分ける力」です。「聖なるものを犬に…豚に真珠」、そんな生き方になってはいないか、神に喜ばれるみこ Continue Reading →
教会学校の子どもたち、毎週、主のいのりを祈るのですが、その意味がいまいちよくわからないまま、習慣のように唱えている。もう一度、子どもたちが分かることばで主の祈りを教えようということになり、私が3回にわたって、お話するこ Continue Reading →