キャンプ場の今と必要
キャンプ場は日本の宣教において長く多くの実を残してきました。私たちと関わりのあるのは奥多摩バイブルシャレーと奥多摩福音の家です。他に、同盟教団の松原湖バイブルキャンプや軽井沢恵みシャレーも利用されてきました。子どもたち Continue Reading →
キャンプ場は日本の宣教において長く多くの実を残してきました。私たちと関わりのあるのは奥多摩バイブルシャレーと奥多摩福音の家です。他に、同盟教団の松原湖バイブルキャンプや軽井沢恵みシャレーも利用されてきました。子どもたち Continue Reading →
「聖書は、旧新約六十六巻からなり、すべて神によって霊感された、誤りのない神のことばである。聖書は、神が救いについて刑事しようとされたすべてを含み、信仰と生活との唯一絶対の規範である。」これは、私たちの信仰告白の第一条で Continue Reading →
先日、JEAの総会でグループディスカッションがありました。8名が割り振られて、顔を合わせると、みんな一様に口を開きません。私が、「こういう時って、最初に言い出しっぺをした人がリードしなければならなくなるんだよねぇ」と言 Continue Reading →
福音主義神学会のオンライン研究会がありました。LGBTQの問題を中心に、藤本満師が講演をしてくださり、レスポンスと質疑応答が行われました。この問題は世間でもホットなイシューです。ところが、聖書的にどう取り扱ったらいいの Continue Reading →
母の様子が「おかしい」と初めて感じたのがちょうど5年前の5月のことでした。会議の帰り道、電話が鳴りました。「お父さんがおかしいん。」様子を訊くと脳出血の症状です。その時には、とにかくそれをどうにかしなければと実家に向か Continue Reading →
先日、改めて考えさせられたことがあります。私たちは何気なく、「たまたま」という言葉を使うことがあります。一方で、「神さまが導いてくださって」ということばも使います。タイミングというのは不思議なもので、私たちの意思や考え Continue Reading →
このコロナ禍、改めて覚えさせられているのは、私たちの視野がどこにまで向いているのかということです。私たちの日常生活は、通常ごく限られた範囲で暮らしています。特にこのコロナの中、1日に会話を交わす人の数は一桁くらいの人が Continue Reading →
・「子どもが幼稚園の頃、母の日に『肩たたき券』をくれたのだが、いざ使おうとすると『今日は使えない日』とか『期限切れ』とか言い出して悪徳チケット業者にひっかかった気分に」(52才・専業主婦) ・「母の日に旦那と子どもたちで Continue Reading →
昨年から教会に来るようになったI姉が教会の花壇にバラを植えてくださいました。せっかくなので、それに続く桜の木の周りとそれに続く場所をきれいに整えて花壇を作りました。元々植わっていた草花、植えてくださった草花が、今キレイ Continue Reading →
「遊び」ということを考えさせられています。コロナになって、一緒に「遊ぶ」という機会がほとんどなくなりました。最小限の人との接触。礼拝も一緒におささげしたらほどなく散会です。これまで、おしゃべりをしたり、愛餐をともにした Continue Reading →